おなかブログ
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あんどう消化器内科IBDクリニックのブログです。
日々、新型コロナウイルス関連のニュースが溢れています。そんな中、残念なニュースが飛び込んできました。
”ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツさんが80歳で死去”
興味がない方からすると全く関心もないと思いますが、洋楽、特に60年代から70年代の洋楽ロック好きとしては、何となく「一つの時代が終わったかな…」と考えさせられるニュースでした。
(今回の記事は完っ全に個人的趣味ですので、興味のない方はすっ飛ばしてくださいね(^^;)
そんな中思い出したのが、チャーリー・ワッツと同世代で、ローリング・ストーンズにも参加したことがある、”ニッキー・ホプキンス”というピアニストのことです。ストーンズの他、ザ・フー、ザ・キンクス、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン、ジェフ・ベックなど、ロックの歴史に残るアルバムには必ずと言っていいほど彼の名前が見られます。
1944年イギリスで生まれ1994年50歳の若さで亡くなったニッキー・ホプキンスの音楽人生は、持病との戦いであったと言われています。そんな彼の初のソロアルバム、1973年に発売された『The Tin Man Was A Dreamer(邦題:夢見る人)』のライナーノーツ(昔のレコードやCDアルバムについていた解説文のことです)に以下のような記述があります。
「・・・しかし、63年の5月、かねてからの持病だったという胃病の為に入院を余儀なくされ、以後、64年の12月まで、19カ月あまりの間、療養生活を送ることになる。(中略)そして、本格的に活動を再開したのは65年に入ってからのことだが、体力的な問題もあってスタジオ・ミュージシャンとしての仕事を中心としていくことになる。」
この「胃病」、実はクローン病の上部消化管(胃や十二指腸など)病変であったと言われています。その後も何度かパーマネントなバンドへの参加をするも、体力的な問題で長続きせず、短期間で脱退を繰り返しています。
そんな彼のライブ活動を渇望していた心情を描いた作品が、このアルバムに収録されている『Wating For The Band』です。才能に溢れながら思うように活動できなかった彼の焦りともどかしさが伝わってくる曲です。
『夜は真っ暗、僕の知る限り最高に暗かった
僕は見知らぬ人を引き止め、道を尋ねた
彼は僕の背中をたたき、笑い、そして僕を見た
そして彼は言った、旦那、ここからあそこへは行けませんよ、無理、無理
道が分からなければ、僕は君のところへ戻れない
太陽の光がなければ、僕は道を見つけられない
君の愛の光を灯して、ひらめかせて、僕を助けて
だって君なしでは幸福になれない
心が高鳴れば高鳴るほど、僕はさみしくなる
周りには見知らぬ人々ばかりで、誰も電話の場所を教えてくれない
それはまるでスタジオに座ってバンドが来るのを待っているみたい
もし早朝までバンドが来なければ、僕は生き残る方法を見つけなければ
もしバンドが来なければ、僕は終わりだ
バンドが来るのを待っている』
彼の死因は「腸の手術後の合併症」によるものと言われています。詳細は分かりませんが、おそらく胃から小腸、大腸まで、広い範囲に狭窄や内瘻などを生じる、非常に難治な状態であったと思われます。当時はもちろん有効な治療法もなく、次々に起こる症状に対して手術を繰り返すしかない状況であったと思います。クローン病の治療が大きく転換したのはレミケードなどの生物学的製剤が積極的に使用されるようになった21世紀に入ってからです。歴史に「もし」は禁物といいますが、もし彼の生きていた時代に現代の治療法が行われていたら、ロックの歴史も変わっていたのではと想像せずにはいられません。
ただ、決して本人が望んだことではないですが、結果として「偉大なセッションミュージシャン」としてロックの歴史に名前を残しているというのは、何か皮肉なものを感じます。
クローン病、潰瘍性大腸炎などの炎症性腸疾患は治療により経過が大きく変わる疾患です。それにより人生も大きく変わってしまうこと自体は、ニッキー・ホプキンスが生きていた時代と変わりはありません。病気になったことは仕方がないことではありますが、病気があっても人生を謳歌できるよう、常に最新、最適な治療をしていかなければと、改めて考えさせられました。
・・・今回はちょっと趣味に走り過ぎました(^^ゞ